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<title>神社への各種お問合せにご利用下さい</title>
<description>新着投稿一覧</description>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/</link>
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<copyright>FC2, inc</copyright>
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<title>伊勢神宮灯籠マ一クが昔と違っていた？</title>
<author>夜須史談会</author>
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<description><![CDATA[それは神のマ一ㇰと違う、何故なのか？伊勢神宮とあろうものが、解らなかったのは、のは、まるで他国人が、職務しているのと、変わりない。政治家はなんの為に、日本の根幹が変わっている、誰も気がつかない、早く
気づいて、ほしい。
]]></description>
<pubDate>Sun, 25 Aug 2024 09:09:46 +0900</pubDate>
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<title>児島宮の内殿には守人ではなく</title>
<author>夜須史談会</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9296024</link>
<description><![CDATA[守人は背中に矢じりを現すが、別の右大臣左大臣で獅子も赤獅子である。他にも、扉は朱塗りで、鏡は五十センチと天神天皇社そのものである。]]></description>
<pubDate>Sat, 24 Aug 2024 08:38:24 +0900</pubDate>
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<title>Re: 安邑(⁠あんゆう)やすむら</title>
<author>夜須史談会</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9295680</link>
<description><![CDATA[住人は何処え行ったのか？それは浙江省港湾から、船で有田川を、小舟で渡り竹枝筑紫に、着きこの地を、夜須と名付けました。そして砥上山から峡谷になっていて、両辺には赤松が列んでいたそうです。明治頃まで赤松はあったそうです。山下悟氏談、これが松尾峡と朝倉文化財課は、記錄していますが、間違いです。筑紫野市山家の昔大庄屋だった山田徳氏は仲良かったので車で松延堤を前にして、此処に筑紫城(平山城)があったと、尋ねられ、それは、史談会にあり鷲尾塚があるので、すぐに、解りました。史談会会長に鷲尾墳丘墓王冠の訳を聞き、のそれから筑]]></description>
<pubDate>Fri, 09 Aug 2024 14:49:54 +0900</pubDate>
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<title>安邑(⁠あんゆう)やすむら</title>
<author>夜須史談会</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9295680</link>
<description><![CDATA[越国の首都をやすむらといいます。武夷城を武帝に侵略された時、江淮に移れに、従わなかった、武夷邑の住人十万人が居なくなった、と、記錄しています。]]></description>
<pubDate>Fri, 09 Aug 2024 13:45:30 +0900</pubDate>
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<title>江淮（こうわい)</title>
<author>夜須史談会</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9295659</link>
<description><![CDATA[江淮とは長江から朝鮮までの間を呼ぶが丑王は浙江湾から船で海流に乗り有明を経て、筑紫に到達した。そしてこの地を安邑、に因み夜須とした。そして土の事を埴安姫、埴安彦と名づけた。]]></description>
<pubDate>Thu, 08 Aug 2024 18:57:10 +0900</pubDate>
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<title>ウガヤ王朝と平山城、筑紫城の事</title>
<author>夜須史談会</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9295649</link>
<description><![CDATA[ウガヤとは磐余彦の父です、筑紫城は磐余彦の生まれた城の事です、母は玉依姫で、城は松延で記録では松挟とあり、昔は谷だったそうで、砥上山から赤松がはえていたそうです。明治頃は谷になっていたそうです。谷は江戸時代に柳川藩の田中氏によって、堰き止めて堤になったので、米の生産が増したので、黒田藩は喜んだそうです。話は元に、今は池の中になったのは、長政の命でウガヤの祓戸と為したと考えられる。それを裏付けるのは、佐久間不干斎との関係があったからでしょう。記錄として、巨瀬彦が母の里え、行きたいたと言うので瓜公を同伴さて、船]]></description>
<pubDate>Thu, 08 Aug 2024 14:53:32 +0900</pubDate>
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<title>知らずに、神の名を、挙げている</title>
<author>貢ぎ</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9209771</link>
<description><![CDATA[帝禹が制定した、自然観

 帝禹が制定した、    ミツギの法 


人類は神と、共立している、だが神を、知らずに、神の名を、挙げている、

それは神を、疎かに、している、禹の法を、守って、いない？　礼、礼があり、これが対等、共立である。



それは、自然観公平、貢ぎ、対等、共立であるのに、人間は、守っていない、と、口には、出さない、神の教え。



現代、全国には、神社が、建っているが、殆どが、神に、ミツギの法 を、していない、

神社は、神と共立してからこそ、神社となる、、

神、天神に、無縁ミツギ　を、し]]></description>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2020 13:58:23 +0900</pubDate>
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<title> 佐久間信晴 は 近衛中将助安の子で正室は盛通の娘信盛を産んだ</title>
<author>児島宮文教課</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9186848</link>
<description><![CDATA[正室は佐久間盛通の娘信盛を産んだ、
信盛の家は、佐々木では、なく、児島高徳の裔、これが、混同していて、妻の佐々木、佐久間盛通、女だったから、間違えられ、佐久間盛通の子に、扱われていた。
はっきりと、佐久間信晴の、父は、近衛中将助安であって、
信晴の母が、初代伊達政宗の妹であった。
近衛中将助安は、佐久間孫五郎と、いい、従三位公家とあり、
愛媛の地に、墓がある。
この人は、京から、やってきたと、いう。
近衛中将は、天皇の勤番で、側近だったので、一致している。
佐久間氏は佐々木の一族と、されているのは、あまり本]]></description>
<pubDate>Thu, 28 May 2020 14:30:32 +0900</pubDate>
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<title>警察力は一般に役に立ってきませんでした</title>
<author>天空</author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9169421</link>
<description><![CDATA[警察力は一般に役に立ってきませんでした。

世の終わりのしるし　
エタ、女真人、地震　津波　暴徒　政府　偽天皇　偽神社　
世界の、警察は人間を、襲う、香港や日本の警察も、民に襲いかかっている強暴な警察。
]]></description>
<pubDate>Wed, 19 Feb 2020 21:32:09 +0900</pubDate>
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<title>藤原実範  平安時代中期</title>
<author>児島宮文教課 </author>
<link>http://siryositu.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=9124996</link>
<description><![CDATA[
文章博士・藤原義忠に師事し、治安3年（1023年）に文章得業生となって世に出る。生涯をかけて紀伝道をよく修め、当代随一の権威として知られることとなった。蔵人・文章博士・大学頭などを務めたが、康平5年（1062年）に病のため致仕。

漢詩人として、その詩作は『本朝無題詩』『本朝続文粋』などに収録されている。



系譜
•父：藤原能通
•母：藤原元尹の娘（藤原南家巨勢麻呂流出身）
•妻：小野資通の娘 ◦男子：藤原成季
◦男子：藤原季重
◦男子：藤原季兼（1044-1101）


官位
従四位上、文章博士 

主君
後一条天皇→後朱雀天]]></description>
<pubDate>Sat, 06 Jul 2019 17:51:03 +0900</pubDate>
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